こころのこもった手刺しゅうグッズがラオスから届きました
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インタビュー
安井清子さんに聞く「シヴィライ村の人たちの暮らし」
ラオスで図書館活動をしながらシヴィライ村を支援している安井清子さんが人形劇の仕事をされている夫のノイさんと1月中旬に一時帰国されました。講演会前のお忙しい中でしたが阿佐ヶ谷のご実家にお伺いして、刺しゅうを作っているシヴィライ村のモン族の人たちの暮らしについてお話をうかがいました。


シヴィライ村はラオスの首都ビエンチャンから車で3時間ほど北にいったところにあります。インドシナ戦争、ベトナム戦争に巻き込まれたラオスのモン族の中には、戦後タイ北部の難民キャンプで15年近くも難民として暮らしていた人たちもいました。安井さんがシャンティ国際ボランティア会の本の読み聞かせのボランティアとして難民と初めて出会ったのがこの難民キャンプです。ようやく1993年に国連の帰還事業でラオスに戻ったものの、与えられた土地は痩せこけた道路脇のわずかな斜面でした。そんな中、代々伝えられてきた刺しゅうクラフトが村の暮らしをつないでいます。

Q シヴィライ村の一日はどんな風に始まるのですか。村の暮らしについて
  教えてください。


モン族の人たちは早起きで、夜明け前にはみんな起きだします。朝起きるとまず山から引いた水を汲みに行きます。それからつけ木とライターで火をおこし、朝ごはんの支度をします。家から少し離れたところで飼っている家畜のえさやりと水汲みは子どもたちの仕事です。朝ご飯を食べると大人は畑仕事へ、子どもは学校に向かいます。

Q 村には中学校まであるのですか。

はい、日本の支援で作られた中学校が村の中にあります。小学校3年生までは村の学校に通うのですが、4年生以上は歩いて30分ほどの隣村の小学校まで通います。小学校は歩いて30分ほどかかります。高校は遠いので、勉強したくても通学するお金がなくて続けられない子もいます。それでも、教員になるための大学や、教員養成学校、看護学校に通う子も出てきました。焼畑をやっていても十分に食べていけないため、少しでも手に職をつけて自分たちの境遇を超えていってほしいという親の願いもあるようです。

Q 村ではどんな食事をしているのですか。

栄養についての知識が乏しいことや、乾季には野菜も育てられないこともあり、ごはんとラーメンの麺だけという日もあるようです。近くの川で採った魚のスープを食べることもあります。調味料はもっぱら塩を使っています。時期によっては筍がたくさんとれることもありますが、村には農地が少ないため山に暮らす人たちと比べて野菜が足りません。子どもたちは学校から戻ると、夕飯のために川でワナをしかけて魚釣りをすることもあります。

Q 春には農作業が始まるのですね。

村では今も焼畑農業をしているのですが、農地が少ないので数年で一巡し土地は痩せています。6月の種まきに備え、3月になると冬の間に切り株の後に育った低木や灌木を伐採します。4月に気温が高くなると田畑を焼きます。うまく焼けると一度で済みますが、根っこまできれいに焼けないともう一度焼きます。10月から3月が乾季で、4月になると雨季になり雨が降ります。

Q 村ではどんな時に現金が必要になるのですか。

現金が必要になる時期は、農繁期が始まる前、学校の新学期が始まり教材や文具、制服が必要になる9月、そしてお正月の前です。その時期には彼らは畑仕事や家事の合間にがんばって刺しゅうをして、それらが私のもとにどっさり届きます。

Q 刺しゅう以外に現金収入の手立てはあるのですか。

筍やきのこ、魚がたくさん獲れたときは売ることもあります。牛を売って車を買い、乗合タクシーの運転手になった人が村には3人います 。まとまった資金が必要となると、持っている牛を手放すくらいしかありませんが、もちろんこれができるのは牛を持っている限られた人だけです。村での生活をあきらめて夫婦で都会に出て夫は道路工事の土方、妻はホテルのメイドやラーメン屋で働いている人もいます。最近ではゴムの植林を始める人が増えていますが、木が育ってゴムが獲れるまでは数年待たなければならないうえ、数十年収穫した後、土地が痩せて使えなくなってしまうリスクもあります。

Q 刺しゅうの材料はどこで手に入れるのですか。

日用品は近くのワンビエンなどでも買えますが、刺しゅうの糸や布はビエンチャンまで買いに行きます。バス代は片道4万キップ、日本円にすると3~4百円かかります。そのうえビエンチャンまではバスで片道3時間もかかるので、材料調達もモンの人たちにとってはひと仕事なのです。時にはかぎられた布や刺しゅう糸で、工夫して作ります。

Q どんな風に刺しゅうから縫製と商品が出来上がっていくのですか。

布や糸などの材料を手に入れるのも大変ですが、組織だった工房やリーダーがいるわけでもなく、各自が材料を調達し思い思いに刺しゅうから縫製までを作りあげています。効率が悪いようにもみえますが、枠にはめられず自由に作られるからこそハッとするような刺しゅうとの出会いもあります。

Q そうですね。ラオスの自然の中で生み出された刺しゅうはのびのびとしていて、ラオスの自然や空気までもが縫いこまれているかのようですね。 ところで 、安井さんはたくさんの出会いや別れを通してシヴィライの人たちを長年見守ってこられましたが、これまでで一番心に残ったことは何でしょう。

図書館に勤めているマイイェンは難民キャンプでまだヨチヨチ歩きだった頃から知っています。お父さん、お母さん、お兄さんと次々に家族を亡くし 表情も暗かったのですが、自ら志願して図書館に勤めだしてから明るくなりました。うれしいことに「シヴィライ村便り」にも書きましたが、つい最近、図書館と同じ敷地内にある中学校の先生と結婚しました。 いきなり「明日の結婚式に出て欲しい」って連絡があって・・・。「なんで今日の明日なの!」と言ったんですけどね。 結局当日は予定が重なったため出席はできなかったのですが、本当に良かった。これからは自分の人生を歩んでほしい。幸せになってほしいですね。 結婚式の資金も刺しゅうの前借りでまかなったようです。

■インタビュー後記■
刺しゅうの前借りでミシンを買って洋裁の仕事を始めたジュアなど、自分の夢をもってがんばる人たちもでています。現金収入といっても一家の稼ぎ手になれるわけではなりませんが、出稼ぎに行かなくても農作業の合間に女性が自分たちの技術で現金を手に入れることができる。そして子どもを学校に通わせたり、肥料を買ったり、薬を買ったりできる。代々伝えられてきた刺しゅうのクラフトが大事な役割を果たしています。

今回お話をうかがって、時間も手間もかかるけれど一人ひとりを大切に見守りながら支える、そんな安井さんの姿勢を改めて強く感じました。そしてたくましく生きていく村の女性や子どもたちの話にたくさんの元気をもらいました。ラジオ・ジャパンの取材や講演の準備などでお忙しい中、私たちのインタビューに快く応じてくださった安井さん、ありがとうございました。
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